現場は群馬県の榛名(はるな)神社
群馬県高崎市にある榛名神社に観光にいってきました。
榛名神社の入口には、双龍門とよばれる有名な四脚の門があります。
1855年に建立された彫刻装飾の評価が高い、重要文化財となっている建造物です。
羽目板の彫刻には、桃園の誓いや三顧の礼など三国志にまつわる彫刻が施されています。
今回、筆者は榛名神社にはじめて訪れたのですが、残念なことがありました。
その双龍門が改修工事中だったのです。
榛名神社では双龍門以外に額殿の改修工事も同時に行っており、令和3年の末頃に完成が見込まれています。
令和元年から開始された工事であり、建立後160年が経過した本格的な改修工事とのことです。
双龍門の周りは足場と養生シートが組まれていて、双龍門を拝むことが全くできません。
しかし、その双龍門の改修工事の経緯を示す案内板に、とても大きな発見がありました。
双龍門の改修工事は令和元年に開始され、なんと、解体時に双龍門の屋根がカバー工法で仕上げられいたことが発覚しました。
元の双龍門はこけら葺きといって、木の皮を重ねて屋根を仕上げる工法が用いられていたことも、解体時にはじめて判明しました。
こけら葺きは日本の伝統的な屋根仕上げ方法のひとつで、金閣寺など多くの文化建築物で見ることができます。
屋根カバー工法後の銅板葺きの屋根
屋根カバー工法前のこけら葺きの屋根
榛名神社の資料によると、1957年に銅板の金属屋根を被せる屋根カバー工法がおこなわれたとあります。
実に屋根カバー工法を行って60年以上が経過しています。
こけら葺きの時代は定期的に屋根の葺き替えを行っており、そのおかげもあって、柱や軒廻りは傷んでおらず、屋根下地(野地板)や屋根裏などの部分的な修理で済んだと案内板にあります。
ただし、耐震補強は行うとのことです。
これまで、双龍門の屋根は風雨や日射、地震、戦争やいたずらによる人的被害によってダメージを受けてきたはずです。
また、榛名神社は榛名山の神を祭る神社で山中にあり、強烈な湿気に囲まれている環境にあります。
雨・風・地震・人・結露、どれも屋根にとって悪要因です。
そんな環境の中、双龍門は屋根カバー工法後60年が経過しても、屋根が部分的な修理で済んだという事実を残してくれました。
これは屋根カバー工法の価値ある評価となり得ます。
屋根カバー工法に対して否定的な意見がインターネット上でたくさん見かけます。
もちろん、何でもかんでも屋根カバー工法を行えば問題が解消されるという考えは愚かです。
弊社が現地調査にお客様宅に訪れた際、屋根カバー工法ができないまでに劣化が進んだ屋根に出くわすことは、しょっちゅうあります。
しかし、屋根の劣化状況をしっかりと把握し、適切な施工方法と最適な屋根材を用いて屋根カバー工法を行うことは、わたしたちに期待以上の価値をもたらしてくれます。
今回の双龍門の改修では、こけら葺きではなく、直近の銅板屋根で仕上げるそうです。
寺社仏閣の建築物のうち、双龍門のような春日造りの屋根は、屋根の先端が反りあがっているので、工事には相当な技術と苦労が求められます。
伝統技術を受け継いで銅板屋根の工事をされる建築板金工の職人に敬意を表したいです。
そして、貴重な文化財を屋根カバー工法で仕上げる判断をした当時の建築板金工職人に、その先見性と技術力を称賛したいです。
屋根カバー工法を行った昭和初期当時は、屋根カバー工法の情報はほとんどなかったです。
建築板金工職人の経験と知識に依存した中で屋根カバー工法が行われたと想像できます。
今回、思いもよらぬところで、屋根カバー工法の実例を知ることができました。
屋根カバー工法は新しい工事では決してなく、半世紀以上の昔から行われている歴史がある工事なのです。
これから、もっと自信をもってテイガクのお客様に屋根カバー工法の価値を伝えていければと思います。
榛名神社について
山と崖、滝、谷に囲まれた榛名山にある神社。
創建は6世紀後半といわれています。
参道から本殿までは緩やかな上り道で歩きやすく、そして、景観がとてもよいです。
入り口には駐車場や宿坊、雰囲気のよいお蕎麦屋がたくさんあります。
車で10分の距離に榛名湖があり、30分で伊香保温泉へ立ち寄れます。